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記憶

 

 

 

Y先生とN先生のこと。 

Y先生は、小学校四年生のころ担任だった先生。 

20代の女性の先生で、一学期の途中にやってきた。 

当時、50代の男性のN先生が担任だったが、ある日を境にN先生は来なくなった。 

朝礼が始まる時間、教頭先生が教室にやって来て、言った。 

「N先生は、心の病気によりしばらくお休みすることになりました。」 

 

心の病気って、なんだろう。 

ざわついた教室の隅で、そう思った。 

クラスメイトがこそこそ話したり、くすくす笑ったりしていた。 

心の病気の要因はN先生本人にしか分からないけれど、 クラスの人のほとんどに心当たりがあったと思う。 

N先生は、厳しい先生だった。 

叱るときに怒鳴ったり、胸ぐらを掴んだりする先生だった。 

実際のところ、生徒は怖がっていたし、嫌っていたと思う。 

あだ名を付けられて、陰ではひどい言われようだった。 

わたしは同調を求められると、 うんうん、と頷いてしまっていた。 

 

教頭先生の言葉に、ざまあみろと笑みを浮かべる生徒も、 自分たちのせいだと泣き出しそうな生徒もいた。 

代理として担任を受け持ってもらう先生です、と教頭先生が言う。 

ドアを開けて笑顔で入ってきたのがY先生だった。 

教室の中で四方八方へ向いていたバラバラの感情も、Y先生への興味に変わった。 

Y先生は、明るく自己紹介をしてから教頭先生と一言二言交わし、出席を取り始めた。 

 

Y先生は、あっという間に学校の人気者になった。 

明るくて、怒ると怖いけど、よく褒めてくれて、生徒と同じ目線で会話をしてくれる。 

放課後になっても、教室には下校せずにY先生と話し続ける生徒がいた。 

そのうち誰も、N先生の話をしなくなった。 

まるでもともと、出会ったこと自体、なかったような。 

 

Y先生は、子供の扱いが上手だった。 

Y先生が導入した制度で「玉貯金」というものがある。 

Y先生が用意したビンに、カラフルな小さい玉を詰めていくというものだ。 

玉は、誰かがよい行いをしたり、みんなが行事を頑張ったりすると貰える。 

ビンが玉でいっぱいになるとクラスのみんなでお楽しみ会を開ける、というもの。 

生徒たちは、お楽しみ会を開くため、玉を貰うため、がんばりはじめた。 

掃除を真面目にやり、給食を残さず食べる。 

誰かが苦手なものは、協力し合ってみんなで食べた。 

なわとび大会で結果を出すため居残り練習もした。 

その結果、1年間で2,3回お楽しみ会が開かれたと思う。 

理科室でたこ焼きパーティー。家庭科室でケーキ作り。 

みんな、笑顔で過ごしていた。 

N先生は、その頃どうしていただろう。 

 

ある時、国語の授業で書いた作文をホームルームで発表するというのがあった。 

毎日ひとりずつ発表して、無事にできるとひとりにつきひとつ玉が貰えた。 

当然、わたしの番もやってくる。 

わたしは、極度のあがり症だ。 

自分の意見や、創作物を発表するとき、必ず涙が出る。 

どきどきして、声が震えて、汗をたくさんかく。 

その時の作文は、イラストを見て、自分なりの冒険の物語を作るというものだった。 

「勇者たちは、谷に架けられた橋が壊れていることに気付きます。」 

書くときはあんなにワクワクした物語なのに、隕石でも落ちて勇者も冒険もわたしもこの世もすべて終わってしまえばいいのにと思った。 

わたしは言葉に詰まり、ついに泣き出してしまった。 

クラスメイトがみんな、不思議そうな目でわたしを見る。 

その目の奥には、玉はどうなるんだ?という思いがあった。 

申し訳なくて、情けなくて、消えてしまいたかった。 

Y先生が声をかけてくれて、明日もういちど発表することになった。 

 

休み時間にY先生に呼び出された。 

あがり症なこと、緊張して言葉が出なくなること、かわりに涙が出ることを話した。 

Y先生は少し考えるような仕草をした後、わたしを放送室に連れて行った。 

放送室に入るなり、Y先生が取り出したのはラジカセだった。 

これに録音して、ホームルームで流そう、とY先生は言った。 

放送ブースに入って、録音ボタンを押す。 

自分が作った冒険の物語を読み上げる。 

「勇者たちは、森で木を切って来て、橋を渡れるように修理しました。」 

 

 

翌日のホームルームで、それは再生された。 

わたしはラジカセの横で突っ立っていただけだが緊張した。 

物語が終わると、クラスメイトが拍手をしてくれた。 

Y先生は、ビンに玉をひとつ入れた。 

そのとき、わたしは思い出していた。 

以前、同じように発表する機会があったとき、N先生は涙を浮かべるわたしに、どうしてできないのか、緊張は誰でもするものだ、とクラスメイトの前で説いた。 

ラジカセを片付けながら、わたしはN先生のことが嫌いだな、と思った。 

うまくできないことが叱られて当然のことだと思っていたから、そんなこと気付かなかった。 

しばらく会ってない人を、あとになって嫌いになるなんて人間は不思議だ。 

わたしはN先生に会って、ほんとうに嫌いかどうか確かめたくなった。 

だから、N先生の心の病気がよくなるよう願ったのだった。