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日記

 

 

 

書き出しに迷うので、はてなブログさんからの「今年は、お花見しましたか?」という愚問にお答えしようと思います。

お花見がどういった行為を指すのかいまいち理解していませんが、己の排泄物を観察するという意味であれば、はい、させて頂きました。

肛門を開発されたケモ耳の生えた幼女も驚くような大きなウンチ。

写真を撮ろうかとも考えましたが、私はもう大人なので越えてはいけないラインはわかっているつもりです。

このブログを読んでいる方で、肩を落とされた方が居ましたらごめんなさい(^^♪

写真はありません。私はもう、大人なのです。

 

私は毎日お花見をしています。お花見が趣味です。

職を探さず、お花見。精神科に行かず、お花見。

インターネットをせず、お花見三昧。

もう、自分がどこにいるのかも分からないほどのお花見。

私は大人ですが、同時にお花でもありますか?

人々は息をして、生活をしていたら何かしらの出来事があり、それに対していろいろな感情が生まれ、思案するのでしょう。

私はウンチを書き出しにしてしまうほど生活に彩りがありません。

あ、茶色か(笑)。

絵を描いたり、インターネットを楽しんだり、文章を書いたり。

そういったことをしていた自分が他人のように感じられます。

過去と現在は本来一直線上にあるはずですが、私の時の紐は、どうやらどこかで静かにちぎれてしまったようです。

過去の私は、現在の私の過去の姿ではありません。

まったく別の人間の記憶だけ脳に転送されたような…。

私は大人であり、お花であり、SFである。

だから、過去の記憶を額に入れ脳壁に飾っています。

毎晩ねむりにつくと、脳内では過去の記憶展覧会が開かれ、あれやこれやとインスタレーションが並び、それは世界中のどの名画よりも私の心を悲しくさせるのです。

懐かしいだけでなく、潜在的な希望を孕んだ滑稽極まりないそれたち。

歪まされた事実が、私を逃がしません。

長い長い拘束の先にあるのはいつもの天井と絶望。

こちらが汗をかく程、ディテールにこだわられていて、作者の過去への強い執着が窺えます。

感銘を受けた私は、彼女に対抗して現在の己の愚かさをあらゆる方向に露呈するパフォーマンスアートを始めました。

いつか彼女が毎晩の展覧会をやめますように。

このブログも本作品の一部です。

どうぞ、楽しんでいって下さい。

 

 

 

「ウンチングマシン」

webテキスト,身体パフォーマンス

サイズ:154cm

制作:2023年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

 

 

 

 

 

 


死を思うことが世界のどこかの誰かに失礼なことは

とうの昔に理解している

伏せ字にしたいほど不衛生な気持ちと

身体の真ん中で赤黒く変態するウニが暴れて

それの鳴き声が聞こえたら何かを壊したくなる

磨りガラスの向こうで誰かが見ているから

南のほうは見るのが怖い

掘削機が喉に詰まって息がしづらい

救急車を呼ぶにもそれは非常識だから

ゆっくり歩いて池でも見て帰りたい

よく寝るがよくならず

こっち見んなってお互いに思っているうちに

知らぬところで咲く花火に目を奪われ

遅れて来た救急隊員も呆れるほどの浅ましさ

走馬灯はあの月と海だけでいい

責任を持つというのは身勝手な心

無い天井を見て最上階を知ろうとする

頭の中でおとなとこどもが殺し合い

肥えた虫が周囲を跳ねて這いながら

それを貶し煽り続けるのを見て

部屋の外に出るのが怖くなった

自分が誰かわからない道化者

つめたい場所に行きたい

私の欲はすべて根底に諦念と逃避願望がある

より優れた精子が一着として私になるべきだった

極めて微かな神秘と呼ばれる何かが

違ってくれたなら傍観者は居る必要がない

脳に膜が貼っていてはっきりとせず

真っすぐに破滅することもできず

夢を見ている間だけ加護を受けた気になって

恨めしさと羨ましさの違いをはっきりと説明できないまま酒を飲む

常にやさしくいられない人間が蔓延していいのか

正しさとか求めてると振り向いたら寿命

何かを守ったような気になって

愚かな錯覚が錯覚であり続けるように

いつも丁寧に修繕している

それはもう光速移動した際の残像で

残っているのは手垢と美化された記憶なのに

笑っているのは誰なんだよ

恥や不安を全部投入して炊いた煮物が

脳や心で分裂を繰り返していて困る

こうして言語化すること自体恥ずかしく

自分が自分であることに耐えられない

ああ、お星さま

汚れた肉体も精神もずっといらなくて

ただ雪のようにつめたく清潔になりたかった

猛暑の日々が続きます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

 

 

 

 

 

 

 

形のないものを探すことは、終わりが見えなくて怖い

と思いきや、そこから少し離れた海みたいな終末が、わたしを呼んでいたりもする

波に足を掬われると、すぐに暗いところに連れていかれる

静かなことが寂しかったり、うるさいことが心地よかったりする生き物か

わたしの良いところは誰かの悪いところで、わたしの悪いところは誰かの恥だ

本当は、衝動に身を任せて、脳の熱暴走を止めたほうがいいのに、そうしないのは、心からよくなりたいと思っているから

などというのは嘘で

臆病で人に褒められたいだけ

やわらかい毛布に包まれて、自分の反射した人肌の温かさに泣いているだけ


叶わない幸福も、無様な終焉も、同じ悪夢だ

わたし自身が、己の誕生を未だ受け入れられていないことが一番の不幸なのかもしれない

考える行為自体が、自分を苦しめている

知られることや拒絶されることから逃げ続けている名の通りのごみ

自分の存在が気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がないから、思い切り目を瞑っている

白いまっすぐな光を、ずっと見つめていられたらいいのに

 


はやくお星さまになりたい

お星さまになって、宇宙の片隅で人知れず本当の自分の肉体、命を燃やす

そこには苦しみや痛みは存在しなくて、すべての悲しみが眩いきらめきとなって映る

そういった世界がこの世界でないことが、残念

夢くらい、見てもいいでしょう、きっと

終わってほしくない曲があるように、消えてほしくない自分もどこかに浮遊しているといいと思う

 


先日、

路上に猫がいる、と思ったら、風で膨らんでゆっくりと転がるビニール袋だった

出来事よりも考え事の方が私には多い

出来事が、きっと足りていない

ビニール袋を猫に見間違うような、そんな、変哲のない出来事さえ、貴重な気がする

考え事も悪いことではないけれど、もっと、出来事を目にして、大切に保存するように、このブログにも書ければよいと思います

(心にもないことを)

 

 

 

 

 

 

下痢

 

 

うんちょこらんたんんんんんんんんんんんんんんんんんん

新人うんちゅーばーの獄門寺響子です

今日はうんちをしたりindeedを見たりしたいと思います

-便器の中から下痢がこちらを見ている画-

では皆さんさようなら次の動画で会いましょう

 

倉庫内軽作業で年収9京の者です

ピーピー鳴いてるのは俺と灯油ストーブだけだった

ぐじょんぐじょんぐじょん

心臓がそう言うので心電図を撮ったらあなたの顔が映っていて…

猫の恋という春の季語

ひとつのキーを全力で押し続けてるようなこのブログ

わたしの人生はきっとわたしの前任が犯した罪の罰でして…

傍から見ると自罰的でありながらも、本当はずっと誰かのせいにしている

出産の勢いでワンクリック詐欺に遭ったわたしの家族の皆さん、ごめんなさい

子供部屋という牢獄で罪を償いたいと思います

看守から受け取った手紙には、納税についてのありがたいお言葉が書かれていました

あ、あ、あ、あ、殺される

天井の模様が人面に見えて本当に怖いのでいやだ

というか本当は取り立てて書くことない

もうこのブログは面白くもなんにもならないので見ないでくださいね

このブログより、花を見てほしい

そのほうがきっと、きっと、良いと思います

 

今年に入ってから頻繁に、夢に同級生が出てくるけど

同級生の誰もわたしの夢を見てないんだろうなと思うと悲しくてやりきれなくて、ザ・フォーク・クルセダーズになってしまいそう

フォークソング以外の音楽いらないだろ!と叫んだ瞬間に目の前に北島三郎が現れて腹部を殴られた

ああ、殴られてばかりだよう…

さぶちゃん、ごめんね、アタシはあんたの気を引きたくて…

以上のことを履歴書に書いてホームセンターのアルバイトに応募しました

indeed(人''▽`)ありがとう☆

 

あ!ああ!

本当の本当の本当のことを言うと、まだまだ自分は子供で全然脳みそがよくならなくて気持ち悪いままです、みんなごめんね

ああ あああ あああ…

いろいろなことを考えているのに、ずっと退化しているような

もう******さんは終わりです

まともにコミュニケーションも発言もできません

脳がうまく動いてくれないのでブログに書くこともありません

面白いこともいいことも何にも言えません

 

ふつうに死にたい

終わりたい

なんにもよくなってない

ごめんなさい

 

空を見て泣いていたら、

選挙カーからうぐいす嬢が言いました

「窓からのご声援ありがとうございます」

「感謝されるような人間じゃないですよ…」

「うるせーバーカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶

 

 

 

Y先生とN先生のこと。 

Y先生は、小学校四年生のころ担任だった先生。 

20代の女性の先生で、一学期の途中にやってきた。 

当時、50代の男性のN先生が担任だったが、ある日を境にN先生は来なくなった。 

朝礼が始まる時間、教頭先生が教室にやって来て、言った。 

「N先生は、心の病気によりしばらくお休みすることになりました。」 

 

心の病気って、なんだろう。 

ざわついた教室の隅で、そう思った。 

クラスメイトがこそこそ話したり、くすくす笑ったりしていた。 

心の病気の要因はN先生本人にしか分からないけれど、 クラスの人のほとんどに心当たりがあったと思う。 

N先生は、厳しい先生だった。 

叱るときに怒鳴ったり、胸ぐらを掴んだりする先生だった。 

実際のところ、生徒は怖がっていたし、嫌っていたと思う。 

あだ名を付けられて、陰ではひどい言われようだった。 

わたしは同調を求められると、 うんうん、と頷いてしまっていた。 

 

教頭先生の言葉に、ざまあみろと笑みを浮かべる生徒も、 自分たちのせいだと泣き出しそうな生徒もいた。 

代理として担任を受け持ってもらう先生です、と教頭先生が言う。 

ドアを開けて笑顔で入ってきたのがY先生だった。 

教室の中で四方八方へ向いていたバラバラの感情も、Y先生への興味に変わった。 

Y先生は、明るく自己紹介をしてから教頭先生と一言二言交わし、出席を取り始めた。 

 

Y先生は、あっという間に学校の人気者になった。 

明るくて、怒ると怖いけど、よく褒めてくれて、生徒と同じ目線で会話をしてくれる。 

放課後になっても、教室には下校せずにY先生と話し続ける生徒がいた。 

そのうち誰も、N先生の話をしなくなった。 

まるでもともと、出会ったこと自体、なかったような。 

 

Y先生は、子供の扱いが上手だった。 

Y先生が導入した制度で「玉貯金」というものがある。 

Y先生が用意したビンに、カラフルな小さい玉を詰めていくというものだ。 

玉は、誰かがよい行いをしたり、みんなが行事を頑張ったりすると貰える。 

ビンが玉でいっぱいになるとクラスのみんなでお楽しみ会を開ける、というもの。 

生徒たちは、お楽しみ会を開くため、玉を貰うため、がんばりはじめた。 

掃除を真面目にやり、給食を残さず食べる。 

誰かが苦手なものは、協力し合ってみんなで食べた。 

なわとび大会で結果を出すため居残り練習もした。 

その結果、1年間で2,3回お楽しみ会が開かれたと思う。 

理科室でたこ焼きパーティー。家庭科室でケーキ作り。 

みんな、笑顔で過ごしていた。 

N先生は、その頃どうしていただろう。 

 

ある時、国語の授業で書いた作文をホームルームで発表するというのがあった。 

毎日ひとりずつ発表して、無事にできるとひとりにつきひとつ玉が貰えた。 

当然、わたしの番もやってくる。 

わたしは、極度のあがり症だ。 

自分の意見や、創作物を発表するとき、必ず涙が出る。 

どきどきして、声が震えて、汗をたくさんかく。 

その時の作文は、イラストを見て、自分なりの冒険の物語を作るというものだった。 

「勇者たちは、谷に架けられた橋が壊れていることに気付きます。」 

書くときはあんなにワクワクした物語なのに、隕石でも落ちて勇者も冒険もわたしもこの世もすべて終わってしまえばいいのにと思った。 

わたしは言葉に詰まり、ついに泣き出してしまった。 

クラスメイトがみんな、不思議そうな目でわたしを見る。 

その目の奥には、玉はどうなるんだ?という思いがあった。 

申し訳なくて、情けなくて、消えてしまいたかった。 

Y先生が声をかけてくれて、明日もういちど発表することになった。 

 

休み時間にY先生に呼び出された。 

あがり症なこと、緊張して言葉が出なくなること、かわりに涙が出ることを話した。 

Y先生は少し考えるような仕草をした後、わたしを放送室に連れて行った。 

放送室に入るなり、Y先生が取り出したのはラジカセだった。 

これに録音して、ホームルームで流そう、とY先生は言った。 

放送ブースに入って、録音ボタンを押す。 

自分が作った冒険の物語を読み上げる。 

「勇者たちは、森で木を切って来て、橋を渡れるように修理しました。」 

 

 

翌日のホームルームで、それは再生された。 

わたしはラジカセの横で突っ立っていただけだが緊張した。 

物語が終わると、クラスメイトが拍手をしてくれた。 

Y先生は、ビンに玉をひとつ入れた。 

そのとき、わたしは思い出していた。 

以前、同じように発表する機会があったとき、N先生は涙を浮かべるわたしに、どうしてできないのか、緊張は誰でもするものだ、とクラスメイトの前で説いた。 

ラジカセを片付けながら、わたしはN先生のことが嫌いだな、と思った。 

うまくできないことが叱られて当然のことだと思っていたから、そんなこと気付かなかった。 

しばらく会ってない人を、あとになって嫌いになるなんて人間は不思議だ。 

わたしはN先生に会って、ほんとうに嫌いかどうか確かめたくなった。 

だから、N先生の心の病気がよくなるよう願ったのだった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

 

 

 

あけました 

あけましておめでとうございます、というのは、 

おめでたくない人もいるかもしれない(そうかな?)ので、やめておきます 

あけました 

 

年末から調子がよくない 

頭がへんなまま年越ししてしまった 

いろいろなことがこわいな 

自分の存在が不確かになる 

存在していないような 

別世界にいるような 

 

ひとやものがこわいな 

言葉のやり取りがどんどん下手になって 

こわすぎるから億劫になる 

いい言葉が思い浮かばなくもなってきている 

むずかしい すみません 

 

今年も 

どうにか延命して 

やり過ごせるといいなとおもう 

その先になにがあるのかわからないけど 

そうするしかないし 

そうすることしかできない 

 

理想とか、もうどうでもよくて 

ただ呼吸をしているだけです 

存在もほんとうはしたくない 

重い! 

身も心も荷も重い 

はやくお星さまになりたい 

 

冬という季節がすきだけど 

冬はやはり苦しい

そういうとき、

あたたかいほうじ茶をのむ 

あたたかいほうじ茶は、 

あたたかい 

 

死にたくないのに死にたいのなんなんだろう 

死にたいって言葉、どんどんうすっぺらく感じる 

2021年は死にたいって言わないぞ! 

 

ところで、 

不完全を集めて完全になりたい 

宇宙を知りたい 

深海のその先へ行きたい 

何よりも速く移動したい 

手を合わされたい 

ヒマラヤに勝ちたい 

戦慄迷宮で働きたい 

女風呂を覗きたい 

ぬ~べ~に退治されたい 

たいせつな誰かを見守りたい 

 

はやく、お星さまに・・・ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

 

 

 

 

思考がとまる 

たましいが、自分の体からぐんぐん離れる 

ゆっくりと沈み続けたり、浮き続けたりする 

それでいて、 

夕焼けがずっとつづくような、 

水面が一斉に黙ったような、 

時間の停止を感じる 

こわい 

 

誰かわからない人たちが、 

誰かわからない肉体の話をしている 

いろいろなことに確証がもてなくて、 

へんなかんじがする 

重いのか軽いのか、ふしぎ 

 

今年も、もうすぐ終わるらしい 

頭がへんなまま過ごしてしまった 

行動もした気がするが、よくわからない 

へんだ 

ほんとうのところ、ほぼ記憶がない 

なにもしてないから 

 

まちを歩く健やかそうな人も、 

家に帰ると自分の頭を殴ったりしている 

たくさんのひとに愛されている人も、 

ある日とつぜん心臓がとまったりする 

悲しみを抱えた知らない人と、 

血のつながった親族とだと、 

前者を、おもう 

 

こわく、ふしぎなことばかりで、疲れる 

得体の知れない人間という生きものや、 

どうにもならない事象について考えてしまうのは、 

自分に向けられた呪いなのかもしれない 

または、与えられた罰 

その、両方 

罰せられるべきとはおもうけれど、 

審判を下す人たちの正体くらいは知っておきたい 

気づかないようにしていたけれど、 

真摯にいのちと向き合うことはバカバカしい 

きっとね 

 

生きることを恐れて嫌っているのに、 

いまも息をしているのは、これまたふしぎ 

どうしてなのか、わからない 

わからないことばかり 

いのちを捨ててしまいたくても、 

希望とも呼べないほどの、 

存在しない、ちいさなちいさな光を、 

追うしかないのだ

 

ねこという生きものは、すてきだとおもう 

観察していると、 

あらゆることを理解しているように見える 

生き急いだり、自分を攻撃したりしない 

自分を守り、自分が穏やかに過ごせるように、 

本能的にやさしく、つよく、行動している 

飼い主のように、考えすぎてへんになることはない 

愛をつたえ、愛をうけとり、ゆっくりと生きる 

自分が理想としているやわらかい生き方は、 

ねこの生き方に近いと感じた 

 

だからといって、すぐに生きることに前向きにはなれない 

自分の存在が気持ち悪く、不快でたまらないから 

そうして生きてきてしまっているから 

自分はもう、どうでもいい 

できるだけはやく死んでほしい 

でも、ねこは、ちがう 

できるだけやさしく、 

あたたかく、しあわせに、 

いのちを終えられるように、 

できることはなんでもしたい 

 

自分自身にも、そう思える日はくるのでしょうか 

すべてのいのち、よいお年をお迎えください