1

日記

 

 

 


銭湯に行きました。

ここのところ憂鬱で塞ぎ込んでいたので、お風呂に入る気持ちになれず、無理やりにでも入る状況を作ろうと銭湯に行きました。

 


まず、どんよりとした肉体を清潔にするため洗いました。

頭を洗って、体を洗って、顔を洗って、歯磨きをしました。お風呂で歯磨きをする習慣は私にはありませんが、なぜか急に歯磨きをしたくなったので事前に受付で20円で歯ブラシを買っていました。

ブラシの部分にあらかじめ歯磨き粉が練り込んであるタイプの歯ブラシで、磨いていると口の中がこそばゆいような変な感じがしました。20円の安さを感じさせるブラシの硬さと把柄部の柔らかさで、動かすたびに、ぐにゃぐにゃしていて可笑しかったです。

目を瞑ってシャワーを浴びている間、ふと、なぜだか、昔に出会い系サイトで会話をした人たちのことを考えました。

あの人たちは今どうしているだろう。髪型は変わったのかな、新しい趣味ができたりしてるのかな。

そんなことをいま考えるなんて脳は変だなと思いながら、会ったこともない人たちの現在を想いました。

直視したことのない、たしかに存在しているのかも知らない人たちは、毎日ちゃんとお風呂に入ることができているでしょうか。

「ちなみに私はできていないよ」と、かの人たちにテレパシーを送りました。

 


身体を洗い終わって、高い天井を見てから視線をゆらゆら漂わせて時計を探すと、給湯停止時間まであと20分でした。

足裏で水滴をぱちぱち跳ねさせながら、滑らないように、でも急いで湯船に向かいました。

この銭湯の湯船は、他の銭湯の湯船より深くて好きです。本当にお湯が満ちた大きな船って感じがします。

湯船に浸かろうと足をお湯にゆっくり刺すと、お湯が思っていたより熱くてびっくりしました。それでも体を押し込めるようにゆっくり湯船に浸かると、天井の近くのスピーカーから蛍の光が流れ始めました。

その音に反応して顔を上げると、眩しいライトが四方八方から空間を照らしていました。この時間なので他にお客さんは誰もいませんでした。開かれた光が、何十とある鏡を触発し反射させ、水面はきらきらと輝き喜んでいました。からだはあたたかくて、蛍の光のメロディーがこの上なく心地よく、心臓は熱を持ったまま落ち着いています。

 


液体の中にいると、浮力で心も体も自由にさせられます。しばらくの間、蛍の光のメロディーに合わせて、湯船の中で飛んだり跳ねたりして踊っていました。気持ちよかった。この時間がずっと続けばいいのにと思いました。

時間の際限を知らせる蛍の光が、こんなに時間をゆるやかに感じさせるメロディーなのは不思議だな、と思いながら、ゆらゆらぴょんぴょん踊りました。

死んでしまいたいとか、普段、四六時中考えているようなことは考えることなく踊りました。裏を返せば、この状況がなんだか幸せで、今思えばそのまま死んでしまいたかった。でも、そのときは考えていませんでした。

何を言っているかわからないでしょうが、「この時間がずっと続けばいいのに」という気持ちと「死んでしまいたい」という気持ちが同義なことを、そのとき私は初めて知りました。

だからわたしは、死んでしまいたいと思っているよ、というダンスを踊っていました。脳は停止し、考えることなく体が「死んでしまいたいよ」と踊っていたのです。

と同時に、その光景が、音楽が、状況が、温度が、とてもありがたくて、生きていることを感じさせられました。

大きな安心に包まれて、あたたかい羊水に浸かりながら、芽ばえ始めた生への祈りを全身で表現する小さな胎児のような気分でした。

店内アナウンスに急かされ、名残惜しさを抱えたまま浴室から出ました。浮かれた顔をして服を着て、脱衣所から出る時、日替わりの暖簾はもう男湯の緑色に変わっていました。

 


調子に乗ってTシャツのまま銭湯から出ると、外は冷えた静かな風が吹いていました。寒いな、と思ったけど、体の真ん中あたりがまだぽかぽかしていて、心身共に全然大丈夫でした。

すぐそばの灰皿が備えられたベンチに座って、140円で買ったコーヒー牛乳を飲みながら、たばこを吸いました。吸いながら、夜空を見ました。小さい小さい星が己の存在を必死に主張していて、わかっているからね、と思います。

空をぼーっと見ていると、その青黒さや初冬の寂しい気温が、感じさせない速度で皮膚に滲みてきて、体の真ん中のぽかぽかは、炎が萎むようにあっという間に消えていきました。悲しかった。本当に悲しかった。悲しさと同時に、現実に戻されたような、また少しずつ脳と内臓が腐り始めている気がしましたし、そういう感覚がありました。

つい先ほどのことなのにもう、あの羊水のあたたかさが恋しかった。あのあたたかさにもう一度守られたい。欲を言えば常に守られていたい。

どうやら私は未熟児なんだと思います。