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夢。

左右に木の茂る長い坂の中腹に開けた土地があって、そこに古びた一軒家がある‬。

木造で外壁にツタが絡まり、所々に虚しさの穴が空いた雨漏りのひどそうな一軒家。

何も知らない人が見たら、農具か何かを保管する小屋だと思うような。

少なくとも人が住む家には見えない。

夜になると、麓にある学校からみんなでその坂を登る。

誰の指図でもなく、自主的に。

むしろ、それが生まれながら無自覚に刻まれた伝統であるかのように。

その鬱々とした一軒家には、女性の幽霊が出るという。

私たちは、そのことを知っていながら毎晩、坂を登る。

一軒家を通り過ぎようとした時、脳に何かを感じてそちらを見た。

かろうじて玄関と言えそうな蝶番の付いた木の板の隙間から誰かがこちらを見ている。

目が合った。

足を止めた私に気付いたみんなが振り返り、視線をあの家に移した。

みんなは目を認識した途端、怯え慌て、はやく坂を降りようと言う。

私のすべての筋肉は動きを止めた。

みんなの声は段々と聞こえなくなり、ただ私の目とその目だけが見つめ合っていた。

怖れはなく、ただ見惚れていた。

そのうち好奇心に満ちた数人が、家に近づこうとしたので、私も草木の中を歩き始めた。

目は消えていた。

みんなで朽ちた扉を開けると、木造住宅とは思えない間取りがあった。

少しのリビングとダイニングキッチンのみだった。

木造のダイニングキッチンって…と思っていると、華奢で髪の長いあやふやな顔をした女性が現れた。

みんなは叫び、慄いた。

わたしだけが取り憑かれたように、その女性に不思議な魅力を感じていた。

はっきりとした輪郭がない彼女は、しばらくの間ふらふらと浮遊した後、眉を釣り上げて大きく口を開け、威嚇するような大声を出す。

それから、自らの肉を燃やし掌から蒸発させるようにして黒い塊を捻出し、私たちに警告するような仕草で、それを投げてきた。

その塊は物体に接地すると小さく爆発した。

私もそれには驚き、塊を避けた。

次々に塊を投げる彼女に、みんなは恐怖よりも命の危険を感じ、家を飛び出して行く。

私は彼女の方へ近付き、投げられた黒い塊に覆い被さった。

腹部に衝撃があり、しばらく思考が鈍る。

それから彼女の手を取り、その肉感を確かめた。

ああ、やっぱり、思った通りだ。

彼女は幽霊なんかじゃなく人間だ。

手を見つめながらぷにぷに触っていると、彼女の輪郭が段々とはっきりしてきた。

途端に彼女の顔はしおらしくなり、不思議そうな怯えたような表情をした。

かわいいと思った。

 


それから私は毎日その家を訪ねた。彼女はいつも、オーとかアーとか言っていて、私はそれをただニコニコと見ていた。

ときどき抱きしめ合ったり、手を繋いだりした。

彼女が黒い塊を作ることはなかった。

相変わらず暗く、じめじめとした空間だが、以前より冷ややかな心地よさを感じる。

 

 


私は、巨大な体育館のような施設にいた。

観覧席には溢れるほどの人が座っていて、みんなそれぞれ連れ添った人と何かを話している。

私は1人で座っていることに気づき、ゆっくり席を立った。

すみません、すみません、と言って座席の前を通り、通路に出る。

こんなにたくさんの人の中から、その人を見つけ出すのは難しいかもしれないと思った。

年齢、人種問わず、様々な人間たちが座っている。

目を忙しく動かしながら、ひとつひとつの顔を見て判断を重ねる。

どの顔を見ても、その人ではない。

だんだん体が重くなり、脳がじんわり痛くなってきた。

もう無理だ、と座り込んでしまったところで、声をかけられた。

私の祖父だった。隣には祖母もいる。

笑顔で何かを言っているが、全く聞き取れない。

あうえーあんえーうおいーんおー。

意味がわからなくて、疲れていて、悲しくて、私はお辞儀をしてその場を去った。

少し離れた座席に座り、目を瞑る。

さようなら、さようなら。

さようなら、さようなら。

あらゆるものに対し、そう念じた。

すると通路の先の大きな扉が、ガチャンと開いた。

そこには、坂の中腹にある一軒家の家主が立っていた。

私は彼女の姿を見た途端に涙が溢れてしまって、軽く嘔吐いた。

濁点まみれの声を出しながら、眼球に光を与えるように、ゆっくり彼女を見つめた。

ああ、この人だ。この人を探していたんだ。

そう思うと、体が少しジリジリと痺れ始める。

彼女は、はっきりとした輪郭を持って、私に微笑んでいた。