1

日記

 

 

 

愛と誠

 

 

 

最近、気付いたこと。

自分は、性器について口にするとき(ないが)、男性器の俗称は口にできても女性器の俗称は口にすることができない。

人がいない場所で声に出すことはできる。なのに、人を前にすると声に出すことはおろかキーボードに入力してツイートすることさえ苦痛でできない。

現に「ちんぽ」とツイートしたことは何度もあるし、「ちんちん」と声に出したこともある。

ただ、"ま"から始まる3文字だけが言えない。どうしても口にしなければいけない場合は、ヴァギナと言っている(男性器のことも通常はペニスと言っています)。

なぜ私は、"ま"から始まる3文字(面倒なので以降は誠-まこと-と表記します)が言えないのか。

自分自身が女性であることに起因する、恥ずかしい、はしたない、などの感情は全くない。それが理由ではないのです。

どうしてわたしは誠が言えないのか。振り返ってみると、ひとつの苦い記憶に突き当たる。

わたしがまだ保育園児だった頃、家族全員でフェリーに乗って日帰りの小旅行に出かけたことがある。フェリーに乗るのは初めてで、わたしは浮かれすぎていた。祖父が運転する95年式のカムリに乗って、祖母、母、兄、と楽しくしりとりをしていたとき。わたしの番が回ってきた。"ま"だった。わたしは満面の笑みで「誠〜!♬」と口にした。その瞬間、隣に座っていた母から花山薫のごとき張り手が飛んできた。わたしは目に涙を溜め、己の愚かさを恨むことしかできなかった。張り手の余韻が立ち切れた後も、誰も何も言葉を発さないまま車は進み続けた。わたしがせっかくの家族旅行を台無しにしてしまったのです。今でも反省し続けています。

誠を口にすると人を不快にさせ、場を最悪の空気にしてしまう。場合によっては張り手をされてしまう。そのことをわたしは幼いながら学びました。誠は、人に迷惑をかける言葉なのだ。そもそも、性器については人前で口にすべきではないですね。

アダルトビデオを観ていると、女性がよく「私のお誠にあなたの…」「お誠をもっとめちゃくちゃに…」などと言っているけど、それを聞くととてもつらくなる。お誠は、口にすべきではないから。この女性が、お誠を口にしたことにより自分を責めるような目に遭うんじゃないかと心配になる。悲しいことや苦しいことに襲われてしまうのではないか。張り手や罪悪感などの。誠により、人が傷つくところを見たくないのです。誠という言葉は、わたしにとってどんな差別用語より恐怖の対象です。

 


誠を口にできないことは、不幸なことでしょうか?皆さんの意見を、ぜひお聞かせくださいね♬

以上、さようなら。