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日記

 

 

 

 

 

 

近所のアダルトショップの入り口に置いてある看板の写真が、デビュー当時の紗倉まなさん(セーラー服姿)から、やけに画質の良い深田えいみさんに変わっていた

紗倉まなさんの隣にあった古川いおりさんの看板は、商売文句が羅列してある看板に変わっていた

そういうことが、人生は本当によくあるんだなと思う

すべては変化して、進化か退化かは選べなくて、変容を遂げた、その瞬間まで感知することができない

かなしい

わたしの身の上話で泣いてくれた高校時代の先生から、何年も連絡が返ってこないのもそうかもしれない

ご飯に誘ってもらったから、都合のいい日を尋ねると連絡が途絶えた

人には人の事情があって、仕方がないことだと思う

ただ、そういうことがよくある

わたしはお世辞や社交辞令を、それと理解することが不得手な人間だから、明確に拒否してもらえるとたすかる

 


生きていたくない

生きることに嫌気がさして、気持ち悪く、飽きた

人類みんなが、幸せで笑って過ごしてほしい

人類みんなが、泣くときは、そばに誰かがいてくれますように

 


他人を否定せず、やさしく、やわらかく、おだやかに、いたい

せめて存在するのなら、そうしていたい

自分が救われる出来事があっても、その裏には、ひとの悲しみや苦しみがあることを忘れずにいたい

 


わたしがわたしでなかったら、すごく嬉しい

家族を大切にして、友達を作って、勉強をして、仕事をして、恋をして、悲しいことがあったら人に話して、そういうことができたら生きている心地がするのかな、とおもう

 

 

 

薬をちゃんと飲む

髪の毛を抜かない

耳かきをしすぎない

皮膚を掻きむしらない

ちゃんとごはんを食べる

自分を律する

お風呂ではお湯に浸かる

人にやさしくある

ひとりで唸らない

ものを大切にする

人に嫌な感情を持たない

できないことはできないと言う

完璧を求めない

ちゃんと寝る

寝すぎない

衝動的な行動を控える

不安なときは深呼吸をする

怖いときはぬいぐるみ

悪夢を見たあとは日光を浴びる

 

 

 

 

上記のことができなくても自分を責めすぎない

死ぬときはちゃんと死ぬ

命はうつくしくなくてもよい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

 

 

 

 

 

 

にんげん

元気?なにしてた?

元気だよ  ぼちぼちやってるよ

なにもやってないし元気ではない

でも、そう言わないと、ひどいことになる

ゆたかな生活も夢もお金もどうでもよくて、本当は、おだやかな眠りを望んでいるだけ

だのに、大丈夫だよ、元気だよと言わないと、騙されたり強姦されたり裏切られたりする

そういう人生だった

変わってほしくないものばかり変わっていく

へらへらしていると元気に見えるから、へらへらする

明るい声で話して、ふざけてウケを狙ったことを言って、他人にはやさしい目を向けておく

そうすると、周りの人間は負担を抱えなくて済む

鬱に見えないとよく言われるのは、自ら鬱に見えないようにしているからだ

弱者が尊厳やお金や感情を奪われることがなくなればいいなと思う

ちがった倫理観を持つ人と関わらない方が、おだやかに暮らせる

でも、いちばん近くにいるはずの家族が、そういう場合、どうするのが正解なんだろう

人に本音を言えないせいで、自ら不幸にあるいてゆき、森羅万象に傷つけられる

母にぶたれたことはあるけど、母をぶったことはありません

インターネットではうそばかり言っています

よわいからです

すべてがわからなくて、世界の不穏や悪意、自分の行動力の限界を知る

夢も見ずに、ずうっと寝たい

誰も悪くないですね  本当に

みんなが自分の欲求や願望のために生きていて、それは素晴らしいことだとおもう

ただ、自分のために生きるということは、わたしにはできないから

他人の気持ちや全員の平穏を気にして憂鬱になるのは、馬鹿げていると分かっているのにね

お金を払って人に優しくされたい

分かりきっている方がいい

なにも知らない人に厳しい言葉を受けるのはいやだ

もう、かなしいと思いたくない

ひとびと、ごめんなさい

ずっと申し訳ないと思っています

いのちを潰してくれてもかまいません

これは、そういう罰なのでしょうか

むつかしい

いろんなことが、ずっとわからなく、いまも、わからなくなってきました

うーん  うーん  うーん

うんち!あはははは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

 

 

 

愛と誠

 

 

 

最近、気付いたこと。

自分は、性器について口にするとき(ないが)、男性器の俗称は口にできても女性器の俗称は口にすることができない。

人がいない場所で声に出すことはできる。なのに、人を前にすると声に出すことはおろかキーボードに入力してツイートすることさえ苦痛でできない。

現に「ちんぽ」とツイートしたことは何度もあるし、「ちんちん」と声に出したこともある。

ただ、"ま"から始まる3文字だけが言えない。どうしても口にしなければいけない場合は、ヴァギナと言っている(男性器のことも通常はペニスと言っています)。

なぜ私は、"ま"から始まる3文字(面倒なので以降は誠-まこと-と表記します)が言えないのか。

自分自身が女性であることに起因する、恥ずかしい、はしたない、などの感情は全くない。それが理由ではないのです。

どうしてわたしは誠が言えないのか。振り返ってみると、ひとつの苦い記憶に突き当たる。

わたしがまだ保育園児だった頃、家族全員でフェリーに乗って日帰りの小旅行に出かけたことがある。フェリーに乗るのは初めてで、わたしは浮かれすぎていた。祖父が運転する95年式のカムリに乗って、祖母、母、兄、と楽しくしりとりをしていたとき。わたしの番が回ってきた。"ま"だった。わたしは満面の笑みで「誠〜!♬」と口にした。その瞬間、隣に座っていた母から花山薫のごとき張り手が飛んできた。わたしは目に涙を溜め、己の愚かさを恨むことしかできなかった。張り手の余韻が立ち切れた後も、誰も何も言葉を発さないまま車は進み続けた。わたしがせっかくの家族旅行を台無しにしてしまったのです。今でも反省し続けています。

誠を口にすると人を不快にさせ、場を最悪の空気にしてしまう。場合によっては張り手をされてしまう。そのことをわたしは幼いながら学びました。誠は、人に迷惑をかける言葉なのだ。そもそも、性器については人前で口にすべきではないですね。

アダルトビデオを観ていると、女性がよく「私のお誠にあなたの…」「お誠をもっとめちゃくちゃに…」などと言っているけど、それを聞くととてもつらくなる。お誠は、口にすべきではないから。この女性が、お誠を口にしたことにより自分を責めるような目に遭うんじゃないかと心配になる。悲しいことや苦しいことに襲われてしまうのではないか。張り手や罪悪感などの。誠により、人が傷つくところを見たくないのです。誠という言葉は、わたしにとってどんな差別用語より恐怖の対象です。

 


誠を口にできないことは、不幸なことでしょうか?皆さんの意見を、ぜひお聞かせくださいね♬

以上、さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢。

左右に木の茂る長い坂の中腹に開けた土地があって、そこに古びた一軒家がある‬。

木造で外壁にツタが絡まり、所々に虚しさの穴が空いた雨漏りのひどそうな一軒家。

何も知らない人が見たら、農具か何かを保管する小屋だと思うような。

少なくとも人が住む家には見えない。

夜になると、麓にある学校からみんなでその坂を登る。

誰の指図でもなく、自主的に。

むしろ、それが生まれながら無自覚に刻まれた伝統であるかのように。

その鬱々とした一軒家には、女性の幽霊が出るという。

私たちは、そのことを知っていながら毎晩、坂を登る。

一軒家を通り過ぎようとした時、脳に何かを感じてそちらを見た。

かろうじて玄関と言えそうな蝶番の付いた木の板の隙間から誰かがこちらを見ている。

目が合った。

足を止めた私に気付いたみんなが振り返り、視線をあの家に移した。

みんなは目を認識した途端、怯え慌て、はやく坂を降りようと言う。

私のすべての筋肉は動きを止めた。

みんなの声は段々と聞こえなくなり、ただ私の目とその目だけが見つめ合っていた。

怖れはなく、ただ見惚れていた。

そのうち好奇心に満ちた数人が、家に近づこうとしたので、私も草木の中を歩き始めた。

目は消えていた。

みんなで朽ちた扉を開けると、木造住宅とは思えない間取りがあった。

少しのリビングとダイニングキッチンのみだった。

木造のダイニングキッチンって…と思っていると、華奢で髪の長いあやふやな顔をした女性が現れた。

みんなは叫び、慄いた。

わたしだけが取り憑かれたように、その女性に不思議な魅力を感じていた。

はっきりとした輪郭がない彼女は、しばらくの間ふらふらと浮遊した後、眉を釣り上げて大きく口を開け、威嚇するような大声を出す。

それから、自らの肉を燃やし掌から蒸発させるようにして黒い塊を捻出し、私たちに警告するような仕草で、それを投げてきた。

その塊は物体に接地すると小さく爆発した。

私もそれには驚き、塊を避けた。

次々に塊を投げる彼女に、みんなは恐怖よりも命の危険を感じ、家を飛び出して行く。

私は彼女の方へ近付き、投げられた黒い塊に覆い被さった。

腹部に衝撃があり、しばらく思考が鈍る。

それから彼女の手を取り、その肉感を確かめた。

ああ、やっぱり、思った通りだ。

彼女は幽霊なんかじゃなく人間だ。

手を見つめながらぷにぷに触っていると、彼女の輪郭が段々とはっきりしてきた。

途端に彼女の顔はしおらしくなり、不思議そうな怯えたような表情をした。

かわいいと思った。

 


それから私は毎日その家を訪ねた。彼女はいつも、オーとかアーとか言っていて、私はそれをただニコニコと見ていた。

ときどき抱きしめ合ったり、手を繋いだりした。

彼女が黒い塊を作ることはなかった。

相変わらず暗く、じめじめとした空間だが、以前より冷ややかな心地よさを感じる。

 

 


私は、巨大な体育館のような施設にいた。

観覧席には溢れるほどの人が座っていて、みんなそれぞれ連れ添った人と何かを話している。

私は1人で座っていることに気づき、ゆっくり席を立った。

すみません、すみません、と言って座席の前を通り、通路に出る。

こんなにたくさんの人の中から、その人を見つけ出すのは難しいかもしれないと思った。

年齢、人種問わず、様々な人間たちが座っている。

目を忙しく動かしながら、ひとつひとつの顔を見て判断を重ねる。

どの顔を見ても、その人ではない。

だんだん体が重くなり、脳がじんわり痛くなってきた。

もう無理だ、と座り込んでしまったところで、声をかけられた。

私の祖父だった。隣には祖母もいる。

笑顔で何かを言っているが、全く聞き取れない。

あうえーあんえーうおいーんおー。

意味がわからなくて、疲れていて、悲しくて、私はお辞儀をしてその場を去った。

少し離れた座席に座り、目を瞑る。

さようなら、さようなら。

さようなら、さようなら。

あらゆるものに対し、そう念じた。

すると通路の先の大きな扉が、ガチャンと開いた。

そこには、坂の中腹にある一軒家の家主が立っていた。

私は彼女の姿を見た途端に涙が溢れてしまって、軽く嘔吐いた。

濁点まみれの声を出しながら、眼球に光を与えるように、ゆっくり彼女を見つめた。

ああ、この人だ。この人を探していたんだ。

そう思うと、体が少しジリジリと痺れ始める。

彼女は、はっきりとした輪郭を持って、私に微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ベッドに四肢を晒して

ゆっくりと舞う小さな埃を見ていた

怖いくらいの静けさがうるさい

私の胎動は都市を脅かすことができたか

窓を鳴らす陽はとぼけた顔でこちらを見ている

微細な傾きを保ち徘徊

平衡感覚の達成目標:ふたりを引き合わせること


うつくしいものにだけ触れていたい

本当のことを知りたいだけなのに

二極あるそれの違う方向ばかりを覗き見ている

それを勝手に取り込んで憂鬱になるわたしの

哀れな朝焼けを

猫は寝ぼけ眼でうっすら見ている

暗闇を温めても光がなければ意味がない

また、生ぬるさに勝る恐怖はない

憤怒  憤怒  羨望  憤怒  嫉妬

言葉にならない熱と衝動だけが

皮膚を突き破ってすごく痛いね

全身を光らせて

全身を愛にして

身を粉々にして何かを殴りたい

そうしないときっと、

我々は生き続けることはできないから

でも暴力は良くない

どうにかして、殴り合おう

言葉で、対峙しよう

痛みが心地よさに変貌するまで

 

そしていつか、なるべくはやく、

全員死んだ窮屈な新世界を2人で見よう

 

 

 

 

まだ見ぬ人

聞こえていますか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

 

 

 


銭湯に行きました。

ここのところ憂鬱で塞ぎ込んでいたので、お風呂に入る気持ちになれず、無理やりにでも入る状況を作ろうと銭湯に行きました。

 


まず、どんよりとした肉体を清潔にするため洗いました。

頭を洗って、体を洗って、顔を洗って、歯磨きをしました。お風呂で歯磨きをする習慣は私にはありませんが、なぜか急に歯磨きをしたくなったので事前に受付で20円で歯ブラシを買っていました。

ブラシの部分にあらかじめ歯磨き粉が練り込んであるタイプの歯ブラシで、磨いていると口の中がこそばゆいような変な感じがしました。20円の安さを感じさせるブラシの硬さと把柄部の柔らかさで、動かすたびに、ぐにゃぐにゃしていて可笑しかったです。

目を瞑ってシャワーを浴びている間、ふと、なぜだか、昔に出会い系サイトで会話をした人たちのことを考えました。

あの人たちは今どうしているだろう。髪型は変わったのかな、新しい趣味ができたりしてるのかな。

そんなことをいま考えるなんて脳は変だなと思いながら、会ったこともない人たちの現在を想いました。

直視したことのない、たしかに存在しているのかも知らない人たちは、毎日ちゃんとお風呂に入ることができているでしょうか。

「ちなみに私はできていないよ」と、かの人たちにテレパシーを送りました。

 


身体を洗い終わって、高い天井を見てから視線をゆらゆら漂わせて時計を探すと、給湯停止時間まであと20分でした。

足裏で水滴をぱちぱち跳ねさせながら、滑らないように、でも急いで湯船に向かいました。

この銭湯の湯船は、他の銭湯の湯船より深くて好きです。本当にお湯が満ちた大きな船って感じがします。

湯船に浸かろうと足をお湯にゆっくり刺すと、お湯が思っていたより熱くてびっくりしました。それでも体を押し込めるようにゆっくり湯船に浸かると、天井の近くのスピーカーから蛍の光が流れ始めました。

その音に反応して顔を上げると、眩しいライトが四方八方から空間を照らしていました。この時間なので他にお客さんは誰もいませんでした。開かれた光が、何十とある鏡を触発し反射させ、水面はきらきらと輝き喜んでいました。からだはあたたかくて、蛍の光のメロディーがこの上なく心地よく、心臓は熱を持ったまま落ち着いています。

 


液体の中にいると、浮力で心も体も自由にさせられます。しばらくの間、蛍の光のメロディーに合わせて、湯船の中で飛んだり跳ねたりして踊っていました。気持ちよかった。この時間がずっと続けばいいのにと思いました。

時間の際限を知らせる蛍の光が、こんなに時間をゆるやかに感じさせるメロディーなのは不思議だな、と思いながら、ゆらゆらぴょんぴょん踊りました。

死んでしまいたいとか、普段、四六時中考えているようなことは考えることなく踊りました。裏を返せば、この状況がなんだか幸せで、今思えばそのまま死んでしまいたかった。でも、そのときは考えていませんでした。

何を言っているかわからないでしょうが、「この時間がずっと続けばいいのに」という気持ちと「死んでしまいたい」という気持ちが同義なことを、そのとき私は初めて知りました。

だからわたしは、死んでしまいたいと思っているよ、というダンスを踊っていました。脳は停止し、考えることなく体が「死んでしまいたいよ」と踊っていたのです。

と同時に、その光景が、音楽が、状況が、温度が、とてもありがたくて、生きていることを感じさせられました。

大きな安心に包まれて、あたたかい羊水に浸かりながら、芽ばえ始めた生への祈りを全身で表現する小さな胎児のような気分でした。

店内アナウンスに急かされ、名残惜しさを抱えたまま浴室から出ました。浮かれた顔をして服を着て、脱衣所から出る時、日替わりの暖簾はもう男湯の緑色に変わっていました。

 


調子に乗ってTシャツのまま銭湯から出ると、外は冷えた静かな風が吹いていました。寒いな、と思ったけど、体の真ん中あたりがまだぽかぽかしていて、心身共に全然大丈夫でした。

すぐそばの灰皿が備えられたベンチに座って、140円で買ったコーヒー牛乳を飲みながら、たばこを吸いました。吸いながら、夜空を見ました。小さい小さい星が己の存在を必死に主張していて、わかっているからね、と思います。

空をぼーっと見ていると、その青黒さや初冬の寂しい気温が、感じさせない速度で皮膚に滲みてきて、体の真ん中のぽかぽかは、炎が萎むようにあっという間に消えていきました。悲しかった。本当に悲しかった。悲しさと同時に、現実に戻されたような、また少しずつ脳と内臓が腐り始めている気がしましたし、そういう感覚がありました。

つい先ほどのことなのにもう、あの羊水のあたたかさが恋しかった。あのあたたかさにもう一度守られたい。欲を言えば常に守られていたい。

どうやら私は未熟児なんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝の健康観察をはじめます   ██さん

  はい  元気です

本当に?

  はい  元気です

本当に元気ですか

  はい  元気です

心中のすべての愛に誓えますか

  はい  元気です

他人に詫びることがあるとしてもですか

  はい  元気です

植え付けた悲しみを認識した上でもですか

  はい  元気です

理不尽に痛めつけられる自分を無視してもですか

  はい  元気です

██さん、元気ですか

  先生さようなら  皆さんさようなら